バレエ・バレリーナと性の指導・SM調教

バレリーナ偶然に調教したバレエ経験者から「公演や発表会前には必ず剃毛する」という話を聞いた時に、私の中でバレエ・バレリーナと性調教は固くリンクされ、結びついた。この子は小さい頃からそういう環境に馴染んで育ったために、「人たる者はすべからく、皆そうする」と信じていた。

露出度の高い男女の衣装、お互いが密着した踊り、絡み合う視線、それらはシンボライズされているとは言え、全て性的なフレーバーを伴う。いや、セックスそのものを表していると言った方がむしろ正しいだろう。

ところが皮肉なことに、真摯にバレエに取り組む子ほど、他の世界には目もくれずレッスンに明け暮れるから当然のこととして男性を知らない。つまり処女率が世間に比べて際立って高い。技術的に優れた子ほど、この傾向が強いのも皮肉なことだ。

① バレーをやっている人は上級者ほど、他の世界との関係が少なく、処女率が高い(というか、ほとんど皆処女)

② それなのに、バレーに限らず舞踏の多くは男女の恋愛や性的な心理を描いている

③ 古典といえども、パドドゥなどは男女の関係を知らずには表現が全くできない

このような点に、バレエを志す者が一度はぶつかる壁がある。

それでなくても、極限まで肉体を追い込む基礎練習、叱られ続けのジュニア時代、お尻を叩かれるくらいは日常茶飯事、これでマゾにならない方が不思議だ。

さらに日本の「お稽古ごと」特有の問題もある。基本的に日本式教育は、学校でも芸事でも、教える→まねる(まもる) が主で内側から一人一人の表現を引き出すことが少ない。たしかに、技術は早く上達するが、自分の内面を表現する段階になると、「アレレっ? 私の中が空っぽ」ということになる。そもそも、欧米や中国人は、はち切れるほどの内側のパッションがあるので放っておいても、技術ができてくれば、それを表現できる 。
しかし、日本人は基本的に「周囲に同化していること」を良いこととするので、 表現すべき内面が十分に育たない…

恋愛でも彼らは日本人に比べるとはるかに肉食系、動物的かつ官能的。
西洋の音楽や表現芸術は、それを当然の下敷きにしてるので、日本人は意識して肉食化しないと、全く「別物」の侘び寂び舞台になってしまう。それも本物ならそれなりの意味はあるけれど、本格的な侘び寂びも知らないから、結局空虚な空っぽなものになってしまう。

もっとも、最近は日本人の若い人の中でも、例えばフランスあたりで若い頃から勉強した人などで、全く違和感なく西欧的パッションを表現する人もたくさん見かけるようになった。バレエも、コンクールウィナーともなると、十代といえども気品の中に肉の香りを感じさせる子もいる。そうでないと、肉食系審査員にはアピールしないから、当然といえば当然だろう。

要は、日本人の若い、特にマジメに小さい時からバレエ一筋に取り組んで来た子たちにはこの「肉の香り」が決定的に欠けている。だから、それを補うための「性の手ほどき」「特別指導」が必要なのだ。それが SMの香りを伴う「調教」に限りなく近いものになるのは、この芸術の「身体表現」「常に裸体同様の全身を衆人の目に晒す」という特性を考えれば理由を探す必要もなかろう。

バレエ・バレリーナ調教」は、そんな悩めるバレリーナのあなたに羞恥、性の深い感覚、苦痛さえ快楽に変えてしまう性の不思議を体験していただきます。深い性の感覚を磨くことで、シンボライズされた性の絶頂やエクスタシーの表情、表現をご一緒に追求いたしましょう。

* 実際のバレエ教室やバレエカンパニーで性的な意味合いを含んだ「個人指導」や「SM調教」が行われていたり、そのような指導者がいる、とういことを示唆するものではありません。あくまでも、舞台芸術を志していて表現技術向上のために性的なフレーバーを伴う「レッスン」を希望される方に、それをご提供するものです。

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