SM体験調教・セレンディピティ

balance何のために調教をするのか?
受けるのか?

そんな小難しいことを考えなくても「欲望の赴くままにすれば良い」と硬派の方は言う。しかし、だんだんと年齢を重ね経験も増えるにつれて「一体これは何のためにしているのだろう」とふと考えてしまう。

責める側も受け手の側もなにがしかの満足感を得るというのは確かだし、他のところにも書いたようにいろいろなイメージも感じる。見られて美しくなる、といった実用的な効用もある。

それらを一つ一つ挙げていっても最後に、うまく言葉にできない事がまだ残る気がする…
「残り」というとネガティブなので、逆に「核心」の方がいいだろうか。
そう、それがこの「セレンディピティ」だ。

無理に訳すと「偶有性」と言うらしい。およそこなれた日本語には、字面からして見えない。はっきりわからないけれど、いろいろなことが理由があってそうなっているような、いないような… 偶然というにはあまりに良くでき過ぎている、というような事柄に対して使う言葉だ。ひらめき、と言い換えることもある。

なにかモヤモヤしていた思いの中から、ハッキリとした形が見えてきたり、

調教で感じたイメージが、自分がいま直面していることを解決する方向を指し示していたり、

自分ではうすうす気づいていたけれど避けていて、他の人もあえて口に出してたしなめてはくれないような嫌な面に気づかされたり…

あぁ、自分が越えなければいけないハードルはこういうことだったのか、ということが明らかになったり、

そんなことが調教ではしばしば起きる。
それを期待して、というのは「偶有性」という言葉の意味に反する。
しかし、そんなことも心の隅に置いておけば一時はツライ行為も、もう少し頑張ってみようと思えるのではないだろうか。

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