バレリーナ調教とパトロネージュ

バレリーナ 若い生徒やバレリーナに特別指導が必要だ、ということの理由として「表現力・集中力向上のため」ということがよく言われる。しかし、この指導が性的な色彩が濃い「調教」ということになると、もう一つ別の意味が見え隠れする。標題にも書いた「パトロネージュ」との関係である。

バレエとパトロネージュ(金銭的な支援)との切っても切れない関係は、その始まりから常に続いていた。近代になり、やがて現代になってかつての貴族や富豪といったパトロンは国家や企業に取って代わられたように見える。しかし、翻って現実をよく見ると、少なくとも我が国ではプロの育成体勢に国家の関与は弱く、企業に至っては日本全体が浮かれ気分だった 1980 年代の後半のわずかな期間「メセナ」の名の下に冠公演が行われたのを除けば、はなはだ脆弱なものである。

 実演型の表現芸術はバレエに限らず、個人レベルでもカンパニーレベルでもとにかく出費がかさむ。個人レベルではポアントや衣装代から、公演の出演料や遠征費用… 長年続けて来てパドドゥを踊らせてもらえるようになる頃には一回の公演にチケットノルマを含めて 100万円の出費、などということも珍しくない。そして個人レッスンに振り付けに、男性ダンサーへ… 謝礼また謝礼の連続。

 一方カンパニーに目を転じるとスタジオの賃料や人件費、その他の運営費から大型公演ともなれば海外ソリストの招聘や箱代、オーケストラの出演料などなど。個人レベルとは違い金額も大きく不入りであれば一気に多額の借り入れだけが残るということにもなりかねない。結局のところ恒常的に赤字体質なのである。

 かくして、個人にせよカンパニーにせよ、いろいろなレベルでパトロネージュ、特に個人からの援助に頼らざるを得ない厳然とした現実が立ちはだかる。

 しかし、世の中は良くしたもので「好事家」というものはどの分野にもいるもの。バレエを芸術として深く理解しつつ経済的な援助も厭わないという人種も多くはないものの存在している。

 ただ…、偶然か必然かは置くとしてこのような好事家はまたしばしば性の求道者でもある場合がどういうわけか多い(らしい)。彼らはバレエを芸術として愛するのと同じかそれ以上にバレリーナ個人をも深く愛するのである。そう、とても深く…

 求道者であるがゆえに、その愛は世間からはしばしば「常軌を逸した」ものと見なされる領域に属する。そう、ご想像の通りに。彼らはバレリーナの優美で華麗な表現を愛でるかわりに(愛でつつ)その、長年の訓練のたまものである力強くもしなやかな肢体と、厳しい試練に耐え抜いて強靭であるとともに時に卑屈なまでに従順な精神を愛でる。一言でいえば、「性のグルメ」「実践的探求者」に他ならない。ただ鑑賞するだけには飽き足らない人々である。彼らはパトロネージュの見返りとして彼らが追い求める性の「実践」をその愛を注ぐバレリーナに求める。

 このような求めに応えるには、それ相応の「周到な準備」が必要なのは言うまでもない。一生バレエを続けて欲しいと誰もが願うような若くて美しく優秀なバレリーナに指導者が「特別指導」を施す真の理由は、まさにここにある。「準備」が最終段階を迎えたころ、パトロネージュへの道筋が何がしかの形で彼女の前に示されるはずである。

* 実際のバレエ教室やバレエカンパニーで性的な意味合いを含んだ「個人指導」や「SM調教」が行われていたり、そのような指導者がいる、とういことを示唆するものではありません。あくまでも、舞台芸術を志していて表現技術向上のために性的なフレーバーを伴う「レッスン」を希望される方に、それをご提供するものです。

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