6. 浄化

SM調教とカタルシス

性調教で羞恥・屈辱・痛みを体験することの意味

 なぜ調教生は性調教を通して「落とされて」ゆくのでしょう? 当サイトの「性調教」はそれを「良い奴隷を育成するため」とは考えません。
では、一体何のためなのでしょう。それを考えるときに、落ちる事、恥辱にまみれることを「突き抜け」てゆくこと、そしてその先のステージにあるものを視野に入れなければなりません。

ほんとうに受け入れるということ

 主従関係の中での調教では多くの場合「本当はちょっとイヤだけどご主人様が喜ばれるなら…」という気持ちが調教を受け続ける動機となっています。
最初はそのような動機であっても、次第にそのこと自体が嬉しく思われるくるということもあるでしょう。当サイトが提唱する性調教では、たとえ時間がかかっても一つずつの調教要素を心から受け入れ、行為の中に嬉しさと感謝を感じられるようになるまで調教生を導きます。

恥辱から誇りへ

 いままで経験したことが無いような恥ずかしいことをしたり、言葉に出したりした時、最初は自分がおとしめられたように感じます。
しかしその感覚はほどなく、「自分はこんなこともできた」「ここまで自分を低くできた」という、少し誇らしいよう感覚が持てるようになります。
この感覚がカタルシスへの最初の入り口です。

そして突き抜ける快感へ

 カタルシス、浄化、昇華、ひとはその変化にさまざまな呼び名を与えました。長く続いた平坦な反復が突然、階段を二段飛ばしで上がるような上昇をもたらします。
何の心地よさも無い痛みだったものが、経験したことのない不思議な快感に変わるかもしれません。ただ落ちていくだけのように感じていた恥辱が、ぐるぐるとらせん階段を登るような高揚としてイメージされるようになることもあるでしょう。
ある人は、それまでに感じたことがないような強烈なオーガズムを経験し、またある人は厳しい緊縛や鞭の最中に激しく濡れているのに気づいて当惑することでしょう。
そのような経験がいつあなたに訪れるかは予想がつきません。でも、それに直面したとき、あなたは「そのこと」が今まさに起きていること、自分がそこを「突き抜けてゆく」プロセスを直観するはずです。

Lesson 7 忍従

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